戦争


「……終わった?」
「みたいだ」
頭上から音がしなくなったので、私と妻は恐る恐る、テーブルの下から顔を出した。
そして、卓上の光景を見て、どちらからともなくため息をつく。
「すげえな」
食卓の上はまさに地獄だった。
へし折られた箸の破片とねじ切れそうなスプーンが至るところに散らばり、互いに覆い被さるように果てていた。
動くものはひとつもなかった。無論、私たちの食事などもう見る影もない。
「……なんなのよ、これ」
「さあ」

始まりは、夕食の麻婆豆腐を食べようとした私を、妻が呼び止めたことだった。
「ねえ、いつも思ってんだけどさ、麻婆豆腐は箸よりスプーンの方が食べやすいと思うのよね」
妻が自分のスプーンを私に見せる。前から妻は自分の分だけはスプーンを用意していた。
「ふむ」
私は箸を持った手を止めて、少し考えた。
確かに、食べやすいといえば食べやすい。今まで箸を使っていたのだって、大した理由はない。
「じゃあ、スプーンにしてみるかな」
そう私が言った、その時だった。
妻の手のスプーンが、確かに、くすりと笑ったのだ。人を小馬鹿にしたような笑みだった。
その瞬間、私の手を振り解いて、箸がスプーンに突進していった。
止める間もなかった。
スプーンは箸に貫かれ、絶命した。
そして、それが合図になったかのように、背後の引き出しと棚から箸とスプーンがそれぞれ飛び出し、
またたく間に食卓の上で壮絶な殺し合いを始めたのだった。

荒れ野のごときテーブルを眺めながら、私は再度ため息をつく。
天敵同士の殺し合い。そして、双方が全滅。後には誰も残らなかった。
ステンレス製のスプーンの方が強度はあったはずだが、箸の方が数が多かったので、戦力が均衡したのだろう。
無数の屍骸の中心――テーブルの真ん中に横たわる、すべての引き金となった一組の骸を拾い上げる。
竹製の箸がステンレスのスプーンに突き刺さっている様は、やはり異常だった。
いったいどれほどの憎しみがあれば、こんな所業が可能になるのだろう。
突き刺さった部分だけが残り、それ以外の部分がへし折られて完全に消滅した箸と、
意外な表情のまま額に箸を生やして事切れているスプーン。
象徴だ。この惨劇を体現した、まさにシンボルだ。
「どうしたんだろうな。前々から仲は悪かったが、こんなになるほどじゃなかっただろう」
「そうよね。何か心当たりないの?」
ない、と言いかけて、私は言葉を止めた。
「……ひょっとして」
「何よ」
「この間、面倒臭くて、スプーンで牛丼食べたんだ」
それね……、と三度ため息。
「あとは、大体想像できるわ」
本来箸の役目であるはずの仕事で、スプーンが選ばれた。
それを嫌味なスプーンは執拗に箸にひけらかしたに違いない。
そして、もともとスプーンを毛嫌いしていた箸の怒りは頂点に達していた。
そんな状況の中での、今回の件だ。
怒りと、このままでは自分の居場所がなくなるのではという恐怖がさらに手伝って、箸はあんな暴挙に出たのだろう。
「やれやれ、ね」
「仲良くしろっていつも言っているのにな。仕方がない、また当分……」
そこまで言ったところで、私の頭の中を、とてつもなく嫌な考えがよぎった。
まさか、まさか。

両陣営を煽り立て、あらぬ妄想を吹聴できる立場にいたのは。
そして、両陣営が滅んで、一番得をするのは。

振り返った。
表面上つんと澄ましたフォークの表情の裏に、してやったりというニヤニヤ笑いが浮かんでいるのを私は確かに見た。


(005 [食器] 戦争/終)


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