『呪怨』観ました(その3)
「おるぁあああああああああ!」
ものすごい絶叫でした。
おっさんが、手に持っていた釘バットをふりかざして、女に殴りかかったんです。
女は一瞬驚いたのか、動きを止めました。
そこに、太い腕から繰り出される渾身の一撃。
ごしゃっ。
女は真上から釘バットの直撃を喰らって、地面に叩きつけられました。
さっきの絶叫で、完全に度肝を抜かれちゃいまして。
僕たちは三人で呆然として、おっさんと女を見てました。
もう、怖いのかなんなのか良くわからなくなって、呆気にとられてたんです。
「死ねやぁこんクソアマがあああああ!」
おっさん、ボコボコに女を殴りつけてるんです。
頭から胴体まで、もう容赦なし。
バットが女を捉えるたびに、ぐちゃっ、ぐちゃって肉の潰れる音がする。
女はもともと四つんばいだったから、反撃のしようがないみたいで。
一方的に叩かれ続けて、起き上がれないようでした。
おっさん、叩きながらものすごい声でわめき続けてるんですよね。
「テメー呪怨だからって調子に乗ってんじゃねェぞォォォ!!?」
それはもうすっごい剣幕で。いっさい手を休めずに。
「とっととくたばれやこの野郎ォォォ!!」
「テメーの恨みなんか知ったこっちゃないんじゃワレェェェェ!!」
「どんだけこの世に恨み持ってんのか知らねェがよォォォ!!」
「関係ねェヤツまで巻き込んでんじゃねェぞボケナスがァァ!!」
いったい、このおっさんは何なんだろう。
いや、どっから見てもヤーさんなのはわかるんですが、いったい何故こんなところに。
気になっても、そんなことわかるわけないじゃないですか。
ただ、絶体絶命のピンチだった僕たちを助けてくれたことだけは間違いないですから。
こっちに危害が加わる様子もなさそうだったので、僕たちは動くこともできずに、じっとおっさんの後ろ姿を見てました。
「テメーの恨みにオレ達は関係ないんじゃオウオウ!!」
「なのにオレのツレとガキまで殺るとはどういうワケなんじゃコルァ!!」
「返せよコラ今すぐ返せっつってんだろゴルァ!!」
「呪怨なら何やっても許されると思ってたんか? アア!?」
「だったら今オレがこの場でテメーの息の根止めてやんよボケェェ!!」
ぜえぜえ……。
肩で荒い息をしながら、ようやくおっさんが女を殴る手を緩めました。
女はもう床に叩きつけられて、ぴくりとも動いてません。
それで、おっさんが今さら気がついたかのように、僕たちの方を向いたんですよ。
「オウ坊主ども、大丈夫か?」
意外にもフレンドリーな態度でした。さっきまでの剣幕が嘘のようです。
「……はい」
やっとのことでそれだけ返事をすると、おっさんはまるで少年のような、照れ臭そうな笑みを浮かべました。
「へへっ……悪かったないきなりビビらせちまってよ。でも間に合って良かっ
ゴルァこっち見てんじゃねェぞクソガキィィィ!!」
いきなり懐から黒い何かを取り出して、階段の方に向けて発射。すごい音がしました。
それから、どさり、と音がして、額から血を流した子供が暗がりから倒れ込んできたんです。
その子供は、さっき暗闇の中で一瞬見えたあの子供と同じみたいでした。
子供は少し痙攣したあと、すうっと、溶けるように消えてしまいました。
その瞬間。
床に倒れたまんま動かなかった女の髪の毛が突然しゅるっと動いて、おっさんの足に絡みつきました。
「なっ……!」
慌てておっさんが釘バットを振り下ろすも、そっちも髪の毛ががっちり掴んでしまいまして。
「ちッ!」
舌打ちするおっさんの前で、女がむくりと起き上がります。
あれだけ殴りつけられたからでしょうね、いくつか体の骨が折れているらしく、
あらぬ方向に曲がった手足が余計不気味に見えました。
そして、長い髪の毛の中で真っ赤に血走った目玉がぎょろりと動いて、長い舌がおっさんの首に巻きつきました。
「くぁっ……この野郎」
おっさんは力いっぱい首に巻きついた舌を引っ張るものの、びくともしない。
完全に女の形勢逆転でした。
「…………ゆるさないあたしのこどもころしたゆるさない」
女が何かぼそぼそと呟きました。
「…………ああかわいいわたしのひろしひろしはどこしんだなんてうそひろしはどこいないのでておいでそうねあそびにいったのねちょっとまっててねあたしもすぐいくからこいつころしたらすぐおいかけるからねだからはやくおまえはしねしんでこのよからきえろああひろしもうじきおわるからそしたらまたいっしょにあそぼうねいままでほうっておいたぶんまでずっとだからとっととしねよおまえははやくはやくはやくはやくしねしねしねしねしねしねしねしね」
ぶつぶつと呟きながら、女が笑います。
カエルのように巨大に裂けた口の中は真っ黒でした。
そこから、真っ赤に濡れた長い舌が伸びておっさんの首を絞めているんです。
が。
「ぎゃあああああっ!!」
物凄い絶叫とともに、女が反り返るように倒れました。
何が起きたのかわからないでいると、おっさんは手に何か光るものを持っていて、
それを足に絡みついた髪の毛に向かって振り回しました。
ばすっ、ばすっと切れる髪の毛。それでわかりました。
どこに隠し持っていたのか、おっさんは日本刀で女の舌を切断したんです。
「オレをナメんじゃねェぞボケがァァァァ!!!」
おっさんが日本刀を振りかざして女を追い詰めます。
「バットの一本や二本取ったくらいで勝った気になんなゴルァ!!」
女は髪の毛をあらかた切断されて、後ずさりしました。
そこに追い討ちをかけるようなおっさんのとどめの一撃。
女の胸に、日本刀が深々と突き刺さりました。
そのまま、悔しそうな顔をしながら、すうっと、女は消えてゆきました。
「ふぅ…………」
おっさんががっくりと膝をつきます。
「おっさん!」
僕たちは駆け寄って、苦しそうなおっさんを介抱しようとしました。なんたって、首を絞められてしまったんですから。
しかし、おっさんは首を振って、僕たちを拒みます。
「オレはいいんだよ。気持ちだけ受けとっておく。悪りィな」
どうして、と訊こうとすると、その途端、おっさんの体が少し透けて見えました。
まさか、まさか、まさか。
「チッ……もうお迎えかよ。あのケチ野郎が」
毒づくおっさんの顔は、しかし、安らぎに満ちていました。
「オイ、お前ら」
透けつつあるおっさんは、苦しそうな息をしながら、僕たちを見上げました。
「若けェからって、あんまり調子に乗んじゃねェぞ。わかったな。
今回だって、オレが来なかったら、多分お前らみんな死んでたぞ」
確かに、ここでおっさんが現れなかったら、僕たちは今頃、あの女の手によって……。
「良いか、くれぐれもこれだけは勘違いすんじゃねェぞ。本来呪怨ってのは人間の手にあまるモンなんだ。
オレがあのアマを倒せたからといって、手前らまで呪怨に勝てると思うな。
呪怨を倒せるのは呪怨だけだ。んなこともわかってねェようなヤツはこんなところに近づくんじゃねェ」
うん、うんと僕たちはうなずきました。
おっさんは、きっと、己の命と引き換えに自分も呪怨となりあの女を倒しに来たのです。
だから、その使命が果たされた今、おっさんは……。
「行くな! おっさん!」
無理だ、とおっさんは呟きました。その顔もみるみる薄くなってゆきます。
僕たちは、どうすることもできず、おっさんの顔をじっと見ていました。
おっさんは、窓の外を見ながら、歌うような声で囁きます。
「……ハッ……もう終わりかよ……クソッタレ……。
ちくしょう……太陽が、綺麗だぜ……。
あずさ……瑞樹……待ってろよ……今……………………いく…………………………」
そしておっさんは、静かに消えていきました。
僕たちは、差し込む朝日の中、声にならない思いを抱えて、いつまでも泣いていました。
そして、騒ぎの中、床に落ちた免許証の写真の中の女性が、満ち足りた表情で優しく微笑んでいたのでした。
ということを『呪怨』を観ながら思ったのでした。まる。
(006 [呪怨] 『呪怨』観ました/終)
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