鍵(The Brilliant of Youth)


つつがなく過ぎてゆく毎日に少し飽き飽きしていた高校時代、
ぼくはひとつの鍵を拾った。
小さくて、きらきらしていて、
でもそのくせ冷たくて鋭いその鍵を、
ぼくはお守りみたいに持ち歩いた。


ぼくには好きな女の子がいた。
その子はいつも笑っていた。
でもたまに見せる淋しそうな表情に、
ぼくはちょっとだけ、
興味をそそられたんだ。

だけどこれはいけない想い。
だってあの子には付き合っている彼がいた。
誰もが憧れるヒーローみたいな男の子さ。

それに、そんなことよりも、
――ぼくは……あの子と同じ……

だからぼくの想いは許されないんだ。


あの子は今日も笑っていた。
すぐ隣で見ているぼくの気なんか知らずに。
そうさ、ぼくはあの子と仲が良い。
でも駄目なんだ。
自分の心を偽るのはつらくて、
死んだ方が楽なくらい切なくて、
もうあの子の側にはいられない。
そう決めたんだ。
帰り道、
あの子と彼と、三人で帰った。
会話はなかった。
ぼくはじゃあ、と言って別れた。
これきりにするつもりだった。
だからかな、気付かなかったんだ。
ぼくを見つめる視線に。


ベッドの上で、
拾った鍵を弄んでいた。
くるくる、きらきら、
回転しながら眩しく光る。
綺麗な光だった。
シャンデリアよりも上品で。
万華鏡よりも多彩で。
ぽんと高く放り投げると、
その途端、電話のベルが鳴り響いた。
取ってみて驚いた。
あの子からだったんだ。

約束して受話器を置くと、
鍵はどこかに消えていた。


あの子はベンチに一人で座っていた。
淋しそうな表情で。
ぼくはつらかった。
好きな人と二人きりでも、
好きな人とは付き合えないんだ。
でもあの子はこう言った。
あなたのことが好きって。

――そんな。

でも、どうしようもないだろう?
ぼくは懸命に説得した。
だって君には彼がいるし、
それに、ぼくは――……

――いや、なんでもない。

立ち上がって去る時の、
あの子の泣き顔が忘れられない。
ぼくは卑怯者だ。


家に帰ると、
今度は彼から電話があった。
明日会いたい、と言ってきた。
ぼくはうなずいた。

ベッドの下を探してみたけど、
結局鍵は見つからなかった。


昨日のあの子と同じ場所。
彼は下を向いて座っていた。
ぼくも倣って横に座った。
秋風がひゅうひゅう吹いて、
彼はいきなりぼくにキスした。
続けて言ったんだ。
お前のことが好きだ、なんて。

――そんな。
――そんなそんなそんな。

何も言わずに逃げ出すのが精一杯だった。
家まで飛んで帰ってきて、
ベッドに潜って、
わんわん泣いた。
ぼくは一体どうすればいいの?
そのうちまたまた電話が鳴っても、
ぼくは怖くて取れなかった。
取れるわけないよ。
怖いよ。


考えても考えても答えは出ない。
あっちへ行っても、
こっちへ行っても、
すぐに行き止まっちゃうんだ。
どうしようもないんだ。
ぼくは確かにあの子が好きで、
あの子もぼくのことが好きらしい。
でもあの子には彼がいる。
でもでも彼もぼくのことを好きらしい。
こういう時、
あの子の「親友」のぼくはどうすればいいんだろう?

寝ちゃう前に探してみたけど、
鍵は今日も帰ってこない。


次の日。
ぼくらは再び顔を合わせた。
こんなにつらいの初めてだった。
笑顔もなく、
話題もなく、
安らぎもない。
なんにもない。
からっぽだよ。
でもね、
ぼくはこんなものが欲しかったんじゃない。
誰だって欲しくなかったはずだよ。
じゃあなんでこんなんになっちゃったんだろう。
ぼくが悪いのかな。
やっぱり。

二人は、
お互いのことを知らないみたいだった。
お互いに自分のことで悩んでいるんだ。
そして、共通項はぼくだ。
ぼくの苦悩は二人分だ。


あの子はすっかり笑わなくなった。
いつもあの表情でいるようになった。
でもそんなあの子はちっとも魅力的なんかじゃない。
たまに見せるから良かったんだ。
そんなに一日中見せられたら、
こっちまでますますしょげちゃうよ。

彼もすっかり元気をなくした。
ヒーローどころじゃなくなってた。
ひどい自己嫌悪が顔にまで浮かんでいる。
その気持ちは良くわかるよ。
苦しいほど良くわかるよ。
――ぼくだって、許されない。

でも、
そんな二人も他人から見たら、
ただのカップルの喧嘩に見えているのかな。
そんなもんなのかな。
わからない。


今日も何も進展なし。
後退もなし。
ぼくはまた部屋に逃げてきた。
ここしかないんだ。
いつものようにベッドに倒れ込み、
今日はそのまま寝息を立てた。

鍵がどこかで光っている。
変な夢を見た。


ぼくがはっきりしなくちゃいけないんだ。
朝、歩きながら突然そう思った。
二人の悩みの共通項がぼくなら、
ぼくさえ消えれば二人は治る。
初めからわかっていたんだ。
そうなんだ。
言おう。
勇気を出して。
さよならを。


でもやっぱり、
あの子や彼の顔を見た途端、
ぼくは何も言えなくなった。
この期に及んで何を戸惑っているのやら。
だけどどうしても言えない。
二人は相変わらず憂鬱だ。
ぼくは弱い。
一人で逃げている。


また一人の部屋に帰ってくる。
ここには全ての安息と卑怯がある。
そこでぼくは考える。
言いたい。
けど言えない。
でもそんなのは逃げだ。
言わなくちゃ。
言えなくても言わなくちゃ。
ぼくだけが知っている事実を。
そして結論を。
だけどね、
本心は怖いんだ。
死ぬほど怖いんだ。
ぼくは弱いから、
臆病者の卑怯者だから、
無理なんだ。

――違うんだ。
そんなんじゃ駄目だってことはわかってるんだ。
でもじゃあなんで、
この口は動かないんだ!
たった一言、
言うだけなのに!


きっかけが欲しい。
ぼくを変えられるきっかけが。
何かひとつでも、
そう、小さなことがひとつでもあれば、
ぼくは絶対に変わってみせる。
あの二人を救ってみせる。
他力本願な決意だけど、
ぼくはそれを全力で信じた。

きらきら、きらきら。
鍵はあっけなく見つかった。


あの子はそれをにわかには信じられないようだった。
当たり前だ。
ぼくだって信じたくない。
そして、その上でぼくは自分の気持ちをはっきり告げた。


彼の場合は既にほとんどあきらめていたようだった。
でもそれでも、
最後には彼は泣き出した。
じゃあね。
ぼくは優しくそう言った。


すべての用が済んだ後、
拾った鍵は川に捨てた。
ぽちゃりと間抜けな音を立てて、
川面に波紋が広がった。



今日、
ぼくのところに一枚の葉書が届いた。
あの子と彼の結婚式の案内状だった。
ぼくは素直に喜んだ。
そして、
ちょっとだけ高校時代を思い出しながら、
生後すぐに別れた二卵性双生児の妹の幸せを願って、ぼくはそっと祈った。


(011 [鍵] 鍵/終)


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