次はどこへ(Raison d'etre)


むかし、むかしのお話よ。
ある日ある時ある村に、
ひとりの女が生まれたとさ。
おぎゃあ、おぎゃあと泣くその声に、
見守る大人どもはみな、
果てない希望を感じたそうな。

月日の経つのは早いもんだ。
女はすくすく育っていった。
遊ぶもんも食うもんも満足になかったけど、
それでも女は倖せだった。
女はその、
倖せの何たるかをわかっていたんだな。
それを御天道様も見てたに違えねえ。
女はたいそう綺麗で優しくなって、
村の男はみんな虜になっちまった。

ただな、
女はよく問いかけたのよ。
厳しい田植えのほんのひとときに、
日照りの続く荒れた光に、
ひもじい冬の真ん中に。
おらは苗さ田んぼに植えるために生まれたんだろか。
村の男たちと結ばれるために生まれたんだろか。
赤ちゃんさこさえるために生まれたんだろか。
女も馬鹿じゃあねえからなあ、
誰にも聞かせはせんかったけどさ。
それでもやっぱり、問いかけたもんさ。

そんなこんなで、とある秋。
近くの村の庄屋の若旦那が遠目に一目惚れしたとかで、
女はまだ見たこともねえ男に嫁ぐことになっちまった。
断ることはできんかった。
その年はひどい飢饉で、
女の家どころか、村中飢えていたんだな。
村の若い衆も自分ちのことで手一杯で、
女を泣く泣く見送った。
けれど肝心の女はなあ、
どこかうわの空で、泣きも笑いもしなかったんだと。

庄屋の若旦那はそれはひどい奴だった。
朝から晩まで使用人さこき使って、
自分は一日女を抱いていた。
女は旦那に抱かれながら、
それでもまだまだうわの空だった。
おらはこの男に抱かれるために生まれたんだろか。
汗水垂らして日がな働く使用人衆から、
根こそぎ搾り取るために生まれたんだろか。
いっくら考えても答えは出ねえ。
倖せはわかってもこれだけはわからんかった。
女は寝ても起きてもそれだけ考え続けたもんよ。
だから若旦那も困り果てちまった。
どれだけ抱いても自分に夢中になってくれねえ女だもんな。
そのうち旦那は女に飽きてきた。
そしてやがて旦那が他の女に手を出しはじめた頃、
女は出入りの酒屋の男に恋をしちまったんだ。

けどそんな想いはすぐばれた。
自分のことは棚に上げて、
旦那は女を激しく責めたてた。
女は黙ってそれに耐えた。
もともと真面目な女だからな、
言い訳なんか一っ言もしなかったんだ。
旦那はますます腹を立てて、
とうとう女を都に売り飛ばしちまった。

売られた女は市場の出店に拾われた。
綺麗だったから売り子にされたのさ。
そこで胡瓜やら、白菜やら売りながら女はまだまだ問いかけた。
おらは都で暮らすために生まれたんだろか。
道ゆく旅人に胡瓜売るために生まれたんだろか。
もちろんのこと答えは出ねえ。
それでも真面目に仕事したからな、
それなりに店は繁盛したわけよ。

しかし女はついてなかった。
何の因果か大火事に出くわしちまった。
店は丸焼け、
女も顔にひどいやけどを負っちまった。
せっかくの別嬪が台無しよ。
もう店になんぞ出られるわけねえ。
今まで良く働いてくれたなあと
小金さたんまり主人からもらって、
女はひとりで旅に出た。

女はどんどん南に下った。
道なりに女の独り旅さ。
行く先々で時々はっとするほどいい景色に出会ったりもしたんだがな。
そのたびに女は考えた。
おらはこの海を見るために生まれたんだろか。
この山の夕陽を拝むために生まれたんだろか。
この神社をお参りするために生まれたんだろか。
いい加減女もそんなことを考えるのには飽き飽きしてたんだが、
だからといって止められるわけじゃねえのさ。

どこまで行った頃だったかな。
どっかのきっつい峠のてっぺんで、
女は山賊に襲われた。
山賊どもは女をさらって、
山ん奥の隠れ家に連れてっちまった。
そこで何かと思ったら、
山賊の親分がひどい怪我で寝たきりになってた。
女は親分の身の回りの世話役にされたのさ。
女はどうせやけどでまともに働けねえからといって、
かいがいしく親分さ世話してやった。
するとどうだ、
みるみる親分は元気になってったんだと。

すっかり治った親分は女をたいそう気に入って、
治るや否や自分の女房にしちまった。
女は誰にでも優しくしたからな、
子分どもも大賛成よ。
祝言の日はさんざん飲み食いしたそうだ。
酒さ入ってご機嫌の親分の横で、
やっぱり女は何にもいわなかった。
あきらめてるとか、そういうわけじゃなくてな。
考え事が忙しくて、
それどころじゃなかったんだろ。

おらは山賊の手伝いさするために生まれたんだろか。
奪った荷物さ仕分けするために生まれたんだろか。
隠れ家で留守番しながら女は問い続けたもんよ。
けどな、
山賊どもも殺しをやるわけじゃねえし、
あくどい金持ちしか襲わねえような奴らだったからな。
これはこれでええかと、
女はそれなりに満足したんだと。

けどそれも長くは続かんかった。
わっと山に手入れが入って、
山賊連中はみんな補まっちまった。
みんなで首吊られるってその時になって、
親分はがぜん騒ぎはじめた。
女はわしらがさらってきたんだ、
さらってこき使っていたんだから許してやってくれとな。
子分どもも加わって、
たちまち許せの大合唱よ。
確かにその言葉にゃ偽りはねえ。
お役人も納得したのか、
女だけひとりでほうり出されちまった。
さすがにこん時ゃ女も泣いた。
問いかけだけは止めなかったがな。

おらは一人で生き延びるために生まれたんだろか。
わがんね。
さっぱりわがんね。

女はしばらくふらふら歩き回った。
何してええかもわからんかったし、
どこ行きゃええかもわからんかったからな。
いやいや、
わからねえんじゃなくて考えられなかったのさ。
それくらい疲れ果てちまったんだ。
雨ん中何日もぶっ通しで歩き続けて、
ろくに食べもんも口にしないで、
とうとう気い失っちまったのが、
とあるお寺の墓場の中だったんだと。

運良く女は今度はその寺に拾われた。
和尚さんがたいそう女に同情してな、
そこに住み込みで働くことになった。
女にしてみりゃ自分の居場所ができたんだ。
失うのは怖かったがな、
それでも女は働きながらよく修行して、
何年か後には、女だてらに出家しちまった。

女はやけどを何とも思っちゃいなかったが、
和尚さんが不閥に思って頭巾をくれたもんで、
女はそれをかぶることにしたのさ。
それで付いた仇名が頭巾御前よ。
頭巾御前はそれでも一生懸命おつとめした。
そのあまりの真剣さに仏様も心打たれたか、
女の祈祷は、それはすごい効き目だったんだと。
噂はたちまち広がった。

そんな噂もどこ吹く風、
女は変わらず祈り続けたもんだ。
女にゃ向いていたんだろな。
どんどん増える病人どものひとりひとりの倖せを祈って、
次から次へと治していった。
何年後かにゃあもう有名もいいとこよ。
京の都のお公家様にもどえらい田舎の餓鬼どもにも、
頭巾御前の名を知らねえ奴はいなくなっちまった。
だけど寝る前の灯を見つめて、
女は必ず毎日自問した。
おらは人様の病気を治すために生まれたんだろか。
頭巾御前として崇められるために生まれたんだろか。
そんならそれまでの道はなんだったんだろな。
いつもそこまで考えてから、
女は灯篭の火を消したんだと。

そんなある日、
ひとりの男が頭巾御前の前にやってきた。
ひどい熱病でもう死にかけだった。
女はその顔を見てぶったまげた。
そいつぁかつて自分を売り飛ばした、
最初の夫の庄屋の旦那だったのよ。
旦那はもう女の正体にも気付かずに、
うんうんうなされるだけだったそうな。

女はそれでも祈り続けた。
でも旦那の生前の行いの報いかな、
今回ばかりは頭巾御前の祈りも効かんかった。
来るのが遅すぎたのかもしれねえ。
旦那は次の日にゃぽっくり逝っちまった。

女はひとりで問いかけたものさ。
おらは自分を売った男を見殺しにするために生まれたんだろか。
旦那が死んでも涙も流さないために生まれたんだろか。
自分の仇討ちのために生まれたんだろか。
頭巾御前の名のもとに?
さんざん思い詰めたあげく、
女は頭巾を捨てて旅に出ることにした。

もう決して若かあねえから、
一日に一里ずつ、女はゆっくり歩き続けた。
やけどの痕が不気味がられたけれどな、
そんなこと気にせず女は歩いた。
そして旅先で熱にうなっている奴がおったら、
農民だろうと武士だろうと構わずに祈り続けたのさ。
それしか女にゃ残ってなかったからな。
そうでなけりゃあずっと上見て女は歩いた。
御天道様見て考え続けた。
おらは何のために生まれたんだろな?

それでもいつかはがたが来るものよ。
とうとう女は疲れて動けなくなっちまった。
女は見つけた空き家に寝そべって、欠けた屋根からお月さん見て考えた。
おらは生まれて一度か他人のために動いたことがあっただろか。
今までのはよく考えれば全部、
全部、自分のためだった。
市場で野菜さ売ったのも、山賊と一緒になったのも、
病人治し続けたのも、結局は何もかも自分のためだった。
自分の気の済むようにしただけだ。
人助けもたまたまだ。
見殺しにしたのもたまたまだ。
おらは本当は他人がどうなろうと知ったこっちゃねがったんだ。
そんなんで生きててよかったんだろか。
そもそも、そうさ、そもそもだ、
おらは生まれてよかったんだろか?

お月さんがきらりと笑ったような気もしたが、
気のせいに違えねえと思って、女は寝た。

その夜、
夢の中で女はぷかぷか浮いていた。
池だか湖だか知らねえが、深え霧に包まれた水の中にぽつんとひとりで、
大層ええ気持ちでゆらゆら揺れていたんだな。
水面には蓮の葉っぱや水芭蕉が遠目に見えて、
そこはまるで寺の絵巻物で見た極楽浄土のようだったんだと。
女はぼんやりしながら、流れに任せてじっとしておった。
何の音もしねえ。
霧しか見えねえ。
何も考えることはできんかった。
まるで深え深え穴の奥に吸い込まれていくように、
考えようとしたことが片っ端からどうでもよくなってったんだ。
からっぽになった頭の中で女はしまいに自分がどこのどいつだかもわかんなくなって、
やがてその目で、ひとりの女が生まれるところを見た。

生まれた女にはあさっちゅう名前がつけられた。
あさは小さな村の小さな農家のいちばん下の娘っ子だったけども、
芯のしっかりした、そんでもって頭のいい子だった。
あさはすくすく育って、たちまち村の人気者になっちまったが、
不思議なことに、女にはあさの考えてることが手に取るようにわかったのさ。
いつもあさはこう考えてた。
おらは何のために生まれてきたんだろな?

あさもそのうち年頃になってきたけども、
毎日毎日おめかしもせずに、畑仕事に精を出していた。
何事も一生懸命やんなきゃ気がすまん娘だったのさ。
それで張り切りすぎたのか、ある秋の日に熱出して倒れちまった。
その日は作物をまとめて採らにゃいかん日で、村中大忙しだったから、
看てくれる奴もなしに、あさは床でひとり留守番よ。
が、その暇をぬってひとりの若者があさの家にやってきよった。
そいつぁあさのことが好きだったんだな。
怒られるの覚悟で、こっそり見舞いに飛んできたわけよ。
あさはすっかり喜んで、それからふたりはちょくちょく会うようになった。
そんでそれからまもなくして、近くの村の庄屋の若旦那があさに目ぇつける前にって、
ふたりは大慌てで祝言をあげたのさ。
その時にはもう、女にゃあさの考えてることが見えなくなってた。
でも、あさの気持ちは十分にわかったもんだ。
あれだけ幸せそうな顔をしてりゃあな、
もうあんなくだらねえこと考えてないのは一目瞭然ってやつさ。

気がつくと、また女は赤ん坊が生まれてくるところを見つめていた。
その赤ん坊の生まれた場所は見慣れた家の屋根の下で、
その子にもやっぱり、あさって名前がついたのさ。

今度のあさは近くの村の庄屋の旦那と結婚した。
その旦那はそれはひでえ殿様気質だったけどな、
あさは優しかったから、尻馬にのろうなんざ思わなかった。
虐げられる下使いに、かえってその分優しくしようと決めたのさ。
優しい奥方は使用人衆をことあるごとにねぎらってやった。
そしてそれでもしごきをやめない若旦那に向かって、
月のないある晩、とうとうきっつく叱っちまった。
家をおん出されることも覚悟してのことさ。
でも不思議なことに、旦那はそれ以来大人しくなった。
主を叱ったあさにもお咎めはなし。
どうやら旦那は今までいっぺんたりとも怒られたことがなかったらしい。
はじめて怒られて目が醒めたっちゅうことだな。
旦那はそれから見違えるように立派になった。
あさも満足して、それからというもの、
今までなかったぐらいのいい顔で笑うようになった。
見ている女の長い人生の中ですら、一度もなかったような笑顔でな。

それからも女は、あさという女の誕生を次々に覗き見ていった。
あさは必ず、毎度違う人生を辿った。
ある時は市場に大きな店さぶっ建てた。
ある時は山賊と一緒にしばり首にされた。
ある時は名の通った尼さんになって寺で一生を終えたりもした。
でもどんな死に方しようとも、あさは必ず、最後に笑ったのよ。
迷いも何もねえ、やることやったって顔でな。
どんな終わり方になっても、
結局、それだけはさして違わなかったとさ。

それを見ながら、
なんでか女は胸の中がかーっと熱くなって、
気がつきゃぽろぽろ涙を流してたんだと。

あばら家に響くすずめの鳴き声さ聞いて、女は目を覚ました。
そこはなんにも変わらねえ、道ばたのぼろ庵だった。
女はぱっちり目を開けて、それでもしばらくは夢現の区別がつかんかった。
夢の中の女の姿はもう薄らいでおったけど、
その残り香みてえなもんが頭ん中を漂ってたのよ。
それで頭さすっきりさせようと思って、女は表の池に水をかぶりに行った。
けども水面に映った自分の姿を見て、女はぶったまげちまった。
女の顔はまっさらだった。
あのやけどが、嘘のように治っていたのさ。
よくよく気がつきゃ、ぱんぱんに腫れてた脚も、
動くたびにきしんだ腰も、何もかもがすっかり良くなっておった。
女は呆然としちまった。
そこにいたのは貧乏農家の娘でもなく、
ひどいやけどの市場の売り子でもなく、
山賊のかしらの女房でもなく、
どえらい後光に包まれた頭巾御前でもなく、
もちろん、旅に疲れた老尼でもない、
ただの、ほんとにただの女だった。
何でもない女がひとりでいたのよ。
それ見て、女はようやく悟ったのさ。
おらは何でもなかったんだな。
おらはおらだ。それ以外の何もんでもねえ。
自分のためとか他人のためとか、そんなんもどうでもええ。
方向だけは間違えねえように、
その時その時おらのしたいことを一生懸命すればええんだ。

そう、
おらがおらであることに理由はいらなかったんだ。

答えさ見つけてしまったら、もう何を思い煩うことがあるもんか。
女はまたまた旅に出た。
次はどこ行くかな。そんなことを考えながら。

これで話はおしまいおしまい。
遠いむかしの、物語よ。


(013 [旅] 次はどこへ/終)


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