雪玉とかし


確かに俺は待ち合わせより十分も早く来たが、だからといって今起きたというのはあまりにアレだろ。
携帯の向こうで低血圧のアホがようやく起きたのを確認して、俺は通話を切った。
そして、曇り空の天気に向かって、ため息ひとつ。息は白く凍えて霧散していった。
あの野郎、いつか殺してやる。
さて、これであいつが来るまでの一時間ほど、時間が空いてしまった。
何すんべ。
駅前なので時間を潰す場所はいくらでもあるのだが、大体どこも行き飽きている。
今さらゲーセンだの行ったところで一時間も暇を潰せるとは思えない。
かといって、ひとりで喫茶店で待つというのも馬鹿らしい話だ。
きょろきょろしていると、ちょっと離れたビルの入り口に、自動販売機を見つけた。
とりあえずコーヒーでも買うか。
120円を入れ、ホットコーヒーを選ぶ。ごとりと落ちてきたコーヒーを拾い上げ、それを飲む場所を探した。
目の前に、小さな公園があった。奥に雪をかぶっていないベンチも見える。
そういえばこんなとこあったっけ。公園なんて滅多に行かないから忘れていた。
そこにしよう。

公園の中にはまだ雪がたくさん残っていて、歩くたびにざくざく湿った音がした。
ほどほどに踏み固められた雪道を、缶コーヒーを持って歩く。
流石に冬ともなれば屋外に好きこのんで居直る奴もいないため、閑散としたもんだ。
と、視界の隅に、ちらりと人の姿が見えた。
よく見ると、少し離れたところのベンチに、女の子がひとり座っている。
うーん。
……悪くない。
よっし、たまにはナンパでもすんべ。
コーヒーを上着のポケットに押し込み、わしわしと大股で歩いて女の子に近付く。女の子はこっちに気付かない。
そのまま彼女の隣にどっかと腰を下ろした。
「……?」
女の子が振り向く。隣に座られてから、ようやく気付いたようだ。
「あの」
「君、今ヒマ?」
言葉をかぶせるように尋ねる。この手のトロそうな娘にはこの手が効く。
「え、あ、そうでもないかも……です」
「ふーん。何? 誰か待ってるの?」
「ま、待ってるというかそうでもないというか」
受け答えがいちいちトロくさい。というか、会話のみならず、要領の悪いオーラを全身から吹き出している。
結構可愛いし、狙い目かも。
「どっち? 待ってるの? そうならさ、そんな遅刻するようなヤツ放っとこうよ。一緒に遊ばない?」
「あ、いや、」
「オレこの辺詳しいからさ。カラオケでもいいし美味しいもの食べるのでもいいし。任せてよ」
「ですから、」
「来ないねー君の彼氏。こんな可愛い子待たせるなんてどうしようもねーじゃん。もうフッちゃえよそんなヤツ」
「あああの」
「だからどっか行こうぜいつまでもこんな寒いところにいないでさ。近くにいい店知ってんだ」
押し切れるペース。俺は立ち上がり、ついでに彼女の肩をつかんで引っ張った。
途端。
「いやっ!」
沈黙。思わず手を離す。女の子は浮かせた腰をすとんと落として、再びベンチに着地した。
「……悪い」
「いえ……ごめんなさい」
女の子は小さくなって、小声でぼそっと呟いた。
悪いことをしてしまった、と思う。良心が疼いたので、もう一度謝る。
「……悪い」
「いえ……こちらこそ」
ここで押し切れない辺りが、俺が本物のナンパ師になれない理由なのかもしれない。

「で、何してんの。彼氏待ってるの?」
また隣に座って、女の子に尋ねる。のしかかるような曇り空が肩に重い。
「いえ彼氏とかそういうのじゃないんです。待ってるっていってもそうじゃなくてですね」
「じゃなくて?」
「これが融けるの待ってるんです」
女の子が今までお腹のあたりに抱きしめていた腕を広げる。そこには、野球ボール大の雪玉があった。
「…………?」
怪訝な顔に恐縮したのか、女の子がたどたどしく説明を付け加える。
「あのですね、この雪玉は何と言いますか、説明が難しいんですけど、とにかくですね、融かす必要があるんです。
 いや別に私は頭のおかしな女の子じゃないですよ。狂ったように変なことに夢中になってるかと思われるかもしれませんが、
 決して狂っているわけではなくて理由があってやってることなので、というか理由? をお話することはできないんですけど、
 融かさなきゃならないんですね。じゃなきゃ何もできなくてですね、あ、でも誰かにやらされているわけじゃないんです。
 ああ、なんて言ったらいいんだろ」
ああ、頭のおかしな女の子だ……。
かかわり合いにならなきゃよかった。
「いや、無理に説明しなくていいよ」
黙っているといつまでもしどろもどろの説明を受け続けそうだったので、そう言ってやる。
女の子は、すいません、と言って黙り込む。また雪玉を全身で抱え込み、お腹のところにぎゅっと包んだ。
融かすと言っている割には、まるで融けてほしくなさそうに。

時計を見る。
畜生、まだ三十分もある。

「君さ」
ヒマなので話をふる。女の子は例によってワンテンポ遅れたタイミングで応える。
「はい」
「いつもこんなことしてんの?」
沈黙。これじゃ話しかけた意味がない。この娘は普通に会話とかできないのだろうか。
「……これは今日だけです」
返事まで約三十秒。トロいとかそういうのではなく、言いづらいことなのかもしれない。
また悪いことをしてしまったか?
「……ふーん」
遠慮して、つい自ら話題を打ち切ってしまう。何やってんだ俺。
残ったのは、遠くの喧騒だけ。
女の子は、堅く目を閉じて、雪玉を抱えている。
「どうでもいいけど雪玉さ、そんなところで融かしたらコート濡れちゃうんじゃないの?」
「え?」
女の子が目を開ける。俺はちょっと照れくさくなって目をそらす。
「ああそれは大丈夫ですご心配なく。防水加工なんで濡れません」
「あっそ……」
わけわからん。
ちらりと隙間から見えた雪玉は、もう大分小さくなっていた。もう三分もあれば融けるな。
そしたら、この娘はどっかへ行くだろう。それでおさらばだ。
俺は自ら去る気にもなれず、ぼんやりとそんなことを考えた。

それにしても、こうして女の子とふたりっきりで座っているというのに、俺は何をしてんだろ。
こんなだからシンとかミッツのアホに漢の魅力が足りないとか言われるんだ。
あいつらはスキあらばすぐナンパに走るからなー。成功率低いくせに。
まぁあいつらのことなんかどうでもいい。それより今はこの娘――

あ。
雪玉が元通りの大きさに戻っている。
小さくなるどころか、かえって大きくなって、彼女の腕の中に納まっている。

「……何してんの君?」
何を言っていいものかよくわからないが、とりあえず尋ねてみる。
「え、あ、何がですか」
「何がじゃなくてさ。雪玉。雪玉さ、なんでまた抱えてんの?」
「な、なんでって……さっきから抱えてたじゃないですか」
「いやいやいや。さっきの融けた後で、また作り直しただろ。コートに跡が残ってるぞ」
「え、な、何を言って」
女の子は心底困惑した表情を浮かべている。演技には見えない、というかこの娘に演技はたぶん無理だ。
だが、コートにはすでに雪玉ひとつ分が融けた跡が残っているし、足元には雪をすくった跡もある。
この女の子が自分で新しい雪玉を作り直したのは間違いない。
……ひょっとして、本物引き当てちゃいましたか?
今更ながら、退散すべきなのかもしれねえ。
「俺もう行くわ」
「え?」
「じゃな」
立ち上がり、そそくさと退散する。女の子は急展開に頭がついていけてないようだ。
「さ、さよならぁ」
間抜けな響きの別れの挨拶を背に受けながら、俺はとっとと公園を出た。
悪い。俺には真性ちゃんは荷が重いわ。

自動販売機のところまで戻ってから、ポケットのコーヒーのことをようやく思い出した。
当然ながらもう冷え切っている。
家に帰ってから飲もうと思って、またポケットに押し込んだ。

手近な本屋をぶらついて、新たな待ち合わせ時間を三十分過ぎたところでようやくあのアホからメールが来た。
さらに三十分遅れるんだそうな。
頭が痛くなった。手で思わず頭を押さえたら、そのついでに公園の女の子のことを思い出した。
あの娘、まだあそこにいるんだろうか。まぁ別にどうでもいいんだけどさ。

どうでもいいのに気になるところが俺の欠点。
自動販売機で今度こそとコーヒーを買い直して、再び公園に行く。

俺の心配はズバリ当たっていたらしい。
さっきのベンチにいた女の子は、またしても新しい雪玉を作ろうとしているところだった。
これはいい加減止めなきゃな……。
俺はダッシュで彼女に接近し、今まさに足元から雪をすくおうとしている手を掴んで止めた。
「やめろって」
女の子はしばし呆然として、俺の顔をぼんやり見つめていたが、突然、糸が切れたように暴れ始めた。
女の子とは思えない力だ。俺も片手では押さえられなくなって、全身で動きを止めに入った。
「やめろって言ってんだろ!」
「離して! 離してえ!」
「バカはもうやめろって! いい加減凍え死ぬぞ!」
「…………」
止まった。
止まって、動こうともしない。俺は彼女の手を掴む手に力を込めすぎていたことに気がつき、力を緩めた。
「……あふ」
ぼろり、と女の子の瞳から涙がこぼれた。女の子は俺に体を預け、ぐずぐずと泣き出した。
「あふ、あふ、あふあ、うううあ……」
随分みっともない泣き方だったが、まぁ泣かないよりはマシだと思ったので、放っておいた。

「飲めよ」
落ち着いた女の子に、さっき買ったばかりのコーヒーを渡す。女の子は目頭をこすりながら受け取った。
「すいません…………あ、あの、」
「俺のもあるから大丈夫だって」
もう冷え切ってっけどな。
プルタブを開け、ぐいっとひと飲み。まぁ、不味くはない。
凍えた手では熱い缶が上手に扱えないのか、女の子は未だに缶を開けるのに四苦八苦している。
いや、これは単に、不器用なだけか。
缶を奪って、開けてから返す。ご、ごめんなさい、と一声。何の感情も湧かない。
「あんたさ」
「は、はい」
「気が済んだ?」
沈黙。もう慣れたが。今度は一分近く間があったが、ちゃんと返事は返ってきた。
「……はい」
「ならいーや」
わけわからんし、知ろうという気も起きない。大体このトロくさい娘に説明を求めるだけ無駄というものだ。
ただ、面倒な何かが終わったんだな、とだけ思った。
びしょびしょになった彼女のコートを見て余計その思いを強める。こいつ、俺が止めなかったら本当に?
「ああのすいません、いろいろご迷惑をおかけして……」
「…………」
「あの、私ちょっと、最近いろいろありまして、」
「俺にだっていろいろあるし。あんただけじゃねーよ」
「う」
ちょっとキツい言い方かと思ったが、もうどうでもよかった。これくらいはっきり言った方がいいのかもしれんしな。
そろそろ時間が迫っているので、立ち上がる。
「じゃー今度こそ本当に行くわ俺」
「え……あのですね、その、お返しとか」
「いいっつーの。また暴れられたらやだし」
「ごめんなさい……」
「じゃな。もうすんなよ」
空き缶をゴミ入れに投げ捨て、歩き出す。ざくざくと足元の雪が潰れる。曇り空の冬。
「あ、ああああの」
振り返らず公園の出口を目指す。これ以上あの娘にかかわりたくなかった。
俺には荷が重すぎる。
「ありがとうございましたぁ」
最後までしまらない挨拶を聞きながら、俺は後ろに向かって小さく手を振った。
まぁ、いいことしたんじゃねーの? よくわかんねーけどさ。

思いついて、足元から雪をすくいあげ、両手で丸めて形にしてみる。
あっという間に真っ白な野球ボールのできあがりだ。
「…………わかんねー」
適当な茂みの中に投げ込んだ。がさっと音を立てて雪玉はその中に消え、木に積もっていた雪がぱらぱら落ちた。
まったく、あんなものの中に一体何が入ってると思っていたのやら。
俺にはよくわかりません。


(018 [缶コーヒー] 雪玉とかし/終)


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