リラックス・ドーナツ


「このドーナツね、新商品なの」
「へえ、緑色」
「品種改良された強いリラックス効果のあるハーブの成分が含まれていて、
 ひと口食べれば怒りも悲しみも切なさも興奮も恐怖も不安も全部消えるの」
「そりゃすごいね」
「おまけに味も絶品で、食べ始めたら止まらないの。たくさんあるから、ひとつ食べてみない?」
「うーん、やめておくよ。こんなにきつい緑色だと抵抗があるね」
「そう? おいしいのに。もしゃもしゃ」
「それで、話ってなんだい?」
「もしゃもしゃ。あの女は誰?」
「……あの、おんな?」
「そう。もしゃもしゃ。おととい、遊園地で一緒だった女」
「なんの話だい」
「ミサが見たって言ってるの。あなたがマツエランドで、もしゃもしゃ、知らない女とふたりでいたって」
「誤解だよ。人違いじゃないのかい?」
「間違いないって言ってた。もしゃもしゃ」
「誰にでも見間違いはあるさ。僕だって証拠はある?」
「もしゃもしゃ、それは、ないけど……」
「だったらやっぱり勘違いだよ。僕はそんなところに行ってないもの。
 だいたい、君は彼氏より友達の言うことを信じるのかい?」
「そういう風に言われると……もしゃもしゃ」
「それに。それにだよ? 僕がそーゆーことをする人間に見えるかい?
 この間の君の誕生日だって、ホテルジェノサイドの最上階のラウンジを予約したじゃないか。
 好きでもない女に普通はそこまでできないよ」
「でもあの時は、昼間は用事があるって言って、もしゃもしゃ、逢ってくれなかった」
「仕方がないだろ、仕事があったんだから」
「でも日曜日だったよ。もしゃもしゃ」
「日曜日でも、急なトラブルってのは起きるもんなんだよ」
「でも待ち合わせの時、もしゃもしゃ、知らない香水の匂いがしたよ?」
「気のせいだよ。まさか彼女の誕生日の昼間に、違う女と逢ってたとでも言いたいのかい?
 そんなわけないじゃないか。全部君の思い過ごしだってば」
「じゃあそれはいいとして。もしゃもしゃ。この頃メール減ってる気がするの」
「そうかな」
「そうだよ。前は一日に20通くらい来てたのに、最近半分以下に減ってる、もしゃもしゃ」
「ほら、最近仕事場が変わっただろ。今のところメールとかあまりできないんだよね」
「もしゃもしゃ、そんな話聞いてない」
「言わなかったっけ? 経理課から総務課に配属変わったの。
 経理の課長は寛大だったから今までは頻繁に送れたんだけど、
 今の部署はそーゆーのにうるさくて、いちいち席外さなきゃできないんだよ」
「もしゃもしゃ。ふーん」
「だからもしメールの回数が減ってたとしても、たぶんそのせいだと思うよ。
 他の女がいるとか、そういうわけではまったくないから。安心して」
「じゃあね、もしゃもしゃ、マツダさんって誰?」
「……どこでその名前を?」
「実はね、さっき携帯のメモリもしゃもしゃちらっと覗かせてもらっちゃった、もしゃもしゃ」
「そんな、勝手に」
「でももしゃもしゃ、別に見られて困るような中身じゃないんでしょ?」
「それはまあ、そうだけど……」
「そしたらね、マツダさんって人といっぱいメール交換してるじゃない。もしゃもしゃ。
 ねえ、マツダさんって、誰?」
「友達だよ。飲み屋の友達」
「もしゃもしゃ。どこの飲み屋? いつ知り合ったの? 何してる人?」
「そんなにいっぺんに訊かれてもな」
「ねえ、答えて。もしゃもしゃ」
「マツダと会ったのは三か月くらい前の新人歓迎会の時。場所は居酒屋『テロル』。
 新橋の旅行代理店で事務やってるってさ」
「すっごくすらすら答えたね。もしゃもしゃ。まるで口からでまかせ言ってるみたい」
「失礼だな。だからそんなことするはずないって言ってるじゃないか!
 だいたいね、君はなんでも深く考えすぎるんだよ。そのせいでこれまでひどく苦労してきたんだからね。
 例えばさっきの香水だって、ひょっとしたら電車で隣の女にうつされたものかもしれないじゃないか。
 なのに君ときたらすぐに他の女だの浮気だのそんなことばっかり言って、僕の話をちっとも信じようとしない。
 もしゃもしゃもしゃもしゃとそんな変な色のドーナツばっかり食べてないで、
 ちょっとは自分のことも考えた方がいいんじゃないかい?」
「もしゃもしゃもしゃもしゃ」
「ねえ、話を聞いてる?」
「……あのね、実はね、もしゃもしゃ、証拠があるの」
「それって君の悪いクセだ……え?」
「自分から言ってくれたら許してあげるつもりだったから、もしゃもしゃ。さっきはないって言ったけど。
 もしゃもしゃ。遊園地のデート、写真があるんだよね。もしゃもしゃ」
「…………」
「写メールなんかじゃないよ。もしゃもしゃ。ミサのデジカメの写真。ばっちり至近距離で撮ったやつ。
 見せてもらったけど、もしゃもしゃ、間違えようがないと思うよ、あれじゃ、もしゃもしゃ」
「…………」
「それにね、もしゃもしゃ、昨日、合鍵使って留守の間に部屋漁ってみたんだ。もしゃもしゃ。
 女の下着くらいさ、もしゃもしゃ、ちゃんと片付けとこうよ。もしゃもしゃ。すぐ散らかすの悪いクセだよ」
「…………」
「さて、もしゃもしゃ。それについてはどんな言い訳、もしゃもしゃ、してくれるのかな。もしゃもしゃ」
「……そのドーナツ、強いリラックス効果があるんだよね」
「そうだよ。もしゃもしゃ」
「あの、お願いがあるんだけど」
「もしゃもしゃ。何?」
「ドーナツ、ひとつもらっていいかい?」
「だめ」


(022 [ドーナツ] リラックス・ドーナツ/終)


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