FPS かっこう林(The Girl Who Wanted to be a Bird)
 


かっこう林
The Girl Who Wanted to be a Bird



 その日かっこう林の中で、僕は綺麗な少女と出会った。
 落ち葉が休みなく舞い散る、どこまでも続く白樺の木々の中で、
 燃えるようなオレンジ色の夕陽が、少女の瞳にきらきら反射して、
 僕はその場にただ立ち尽くし、少女をただじっと見つめていた。
 少女はそんな僕の視線に気付き、振り返ってにこりと笑った。
 僕も照れながら笑った。
 少女はこっちに向かって歩きながら、少しおどけた様子で、
 はじめまして、とさらさら流れる水のような声で言った。

 僕はそれで、少女のことが好きになった。



 次の日の夕方も少女はそこにいた。
 少女は落ち葉を拾っていた。
 「落ち葉って、精いっぱい生きたあとで、
  誰にも何も言わないで、潔く死んでいくでしょ。
  だから、わたしが少しでも、
 何かを受け取ってあげようと思って。」
 少女はそんなことを言った。
 僕は何も言い返せずに、黙って少女の指先を見つめていた。
 小枝のようにきゃしゃな指が、そろりそろりとゆっくり動いて、
 からからに乾いた茶色の葉脈が、ひとかたまりに集まってゆく。
 少女は病気らしい。
 この林から少し行ったところにある、茶色い屋根の大きな屋敷に、
 父親と二人で、都会から引っ越してきたそうだ。
 ここは空気が綺麗だから、と少女は言う。
 「向こうは、煙で空気が汚くて、
  お体に良くないからって、お医者様が言ってたの。」
 本当にそうなのか、僕にはわからない。
 僕はこの周辺以外の世界を知らない。
 だから、少女の気持ちはわからない。
 故郷を離れる気持ちなんて。
 友達と別れる気持ちなんて。
 いつかは僕にも来るのかもしれないけれど。
 今僕の横で少女はたぶん、その方向の空を見ている。

 少女は落ち葉を集め終わると、そっとそこから一枚を取り出し、
 橙色に染まった額に、優しく優しく押しつけた。
 「こうしていると、なんだか通じあったような気になるの。」
 僕も一枚もらってやってみた。
 その葉はごわごわしていて、ほんのり冷たかったけど、
 僕にもほんの少しだけ、枯れ葉の気持ちがわかった気がした。
 そして、少女の気持ちも。

 これを自己隣欄だなんて、誰にも言わせてなるもんか。

 少女は集めた落ち葉をその場に還した。
 「これにマッチで火をつけて、一気に燃やしてしまうなんて、
  こんなに頑張って生きたのに、あまりに可哀想すぎると思う。」
 僕もそう思う。
 「ここにこうして置いておけば、やがて葉っぱは埋もれていって、
  来年の春のあたらしい季節に、あたらしい命を育てるのよ。」
 これはなんだかわからなかった。
 少女はまた少し笑って、あなたには難しいかなと言い、
 それから白樺林を見上げて、大きな溜め息をついた。
 濡れたような目に、丸い太陽が映っていた。


 ある時、少女は僕に言った。
 「わたしはね、毎日夢の中で空を飛んでるの。
  この場所から飛び立って、白樺林や今のお家を下に見ながら、
  あなたと一緒に、どこまでも夕陽に向かって飛んでゆくの。」
 僕はそれを想像してみた。
 少女と僕は浮き上がり、やがて驚くほど高く昇って、
 柔らかい風とオレンジの光の中を、一直線に進んでゆく……。
 身震いするほど嬉しかった。
 「そんな風に山を越えて、自由気ままに飛びまわって、
  鳥のように風に感じたい。
  あんな、病室みたいな私のお部屋の冷たい壁なんかじゃなくて、
  たくさんの木と草とお花と虫と動物と、風や太陽に囲まれた、
  翼をもった小鳥になりたい。
  でも、本当のわたしは飛べない。
  走ることもできない。
  何もできない……。」
 消えそうな声で少女はそうつぶやいて、
 顔をひざの間に埋めてしまった。
 僕は黙っていたけれど、何も考えていなかったわけじゃなかった。
 少女はやがて太陽が沈みきった頃、いきなりふわりと起き上がり、
 うつむいたまま家に帰っていった。
 僕は薄暗くなってゆく林に一人佇んだまま、
 少女のはかない後ろ姿を見送った。

 少女のために、翼を作ってあげよう。
 僕はそう決意した。
 林中からたくさんの烏の羽根を集めて、
 それで翼を作るんだ。
 それで少女も飛べるに違いない。
 だから、この秋が終わるまでに、
 なんとか羽根を集めるんだ。
 そして……



 少女はそれからも、夕方ごとにかっこう林にやってきた。
 僕は少女をびっくりさせるために、
 集めかけの羽根のことはおくびにも出さなかった。
 少女は相変わらず少し淋しそうだった。
 なんでも少女の父親が、新しいお手伝いさんを雇ったのだという。
 でもその女の人は、病気の子供の世話をするには、
 あまりにも身勝手すぎた。
 「都会から来た若い女の人なんだけど、いつも暇を見つけては、
  こっそりお友達とお電話しているの。
  それに、わたしがお薬が欲しいって言うと、
  きまって、怖い目でわたしをにらんでくるのよ。」
 はっきり嫌だとは言わなかったけど、それでも僕には、
 少女が空を見上げる回数が多くなったような気がした。
 赤く輝く、今日もどこかに雲が流れてゆく空を。

 あれからずっと、林中を探しまわったけど、
 羽根はまだまだぜんぜん足りない。
 早く集めて、少女を助けてあげなくちゃ。



 いつものように、きらきら光る赤い陽の中、
 少女は落ち葉を抱きしめながら、僕の目を見てぽつりと言った。
 「ここにこうして座っていると、なんだかとってもあったかくて、
  いつの間にかわたしまで、この林に住んでいる気になるの。
  これで翼が生えて空を飛べたら、自分の力で自由に飛べたら、
  どんなにか気持ちいいだろうなあって。」
 そんな時、少女は必ず遠い目になる。
 「ここで生まれて、ここで暮らして、
  ここで死んでいけたらいいなって、最近本当によく思う。」
 駄目だよ。
 死ぬなんて言っちゃあ。
 僕といっしょに空を飛ぶんだから。
 そのための羽根も、もう半分以上、
 ちゃんとたまってきてるんだから。
 まだそのことを知らない少女の手前だから、
 とても口には出せないけど。
 でも少女は、僕の心を察したのか、
 にこりと笑ってつけ加えた。
 「でもね、落ち葉だって精いっぱい生きてから、
  それからやっと終わったって、満足して離れてゆくのよ。
  だから、わたしも頑張るわ。」
 そうだよ。
 いつか空を飛ぶ時に、いきなり具合が悪くなったら大変だから。
 それまでずっと元気で、いつまでも笑っていなきゃ。
 少女は僕の心配そうな顔を見て、さらさらと流れる水のような声で、
 落ちてゆく巨大な夕陽に包まれて、幸せそうに笑って言った。
 「いろいろ、本当にありがとう。
  お父さんもお手伝いさんもお医者様も聞いてくれなかったお話、
  こんな夢のお話を、真面目にずっと聞いてくれてありがとう。
  だから、できたらずっとこのままで、
  いつまでもお友達でいましょうね。
  あなたがもっと大きくなって、いつか旅立つ日がきても、
  わたしのこと、忘れないでね。
  わたしもずっと、忘れないから。」
 もちろん。
 僕はうなずいた。
 少女は僕の瞳を見つめて、また明日ねとささやいて、
 結局それで帰っていった。
 小さな山になった落ち葉が、
 ひらひらと、少しだけ風で崩れた。

 必死で探したかいあって、
 羽根は充分なほどに集まった。
 そして最後に、何か目立つ印があればいい。
 少女の自由を祝うシンボル。
 それで完成だ。
 僕はどうしようもなくうきうきして、
 その夜は、いつまでも暗い空を見上げていた。



 でも、次の日の夕焼けになっても、
 少女は姿を見せなかった。
 忘れているのかな。
 いや、そんなことはないと思う。
 僕はこうしていつものように、少女のことを待っているのに。
 なのに一体どうしたことか、夕陽が沈んで夜が来ても、
 とうとう少女は現れなかった。

 僕は少女の家に行ってみることにした。
 何かあったに違いない。
 病気が悪くなったのか。
 あの悪いお手伝いさんが何かしたのか。
 それとも少女の父親か、お医者さんか。
 今までの少女の話が、僕の頭をぐるぐる回って、
 僕はにっちもさっちもいかなくなった。
 あの細い指。
 あの淋しげな表情。
 ようやく、僕は少女を守らなくちゃいけないことを悟った。
 待ってるだけじゃ駄目なんだ。
 夜の林は苦手だけども、
 そんなことも言っていられない。

 初めてそばで見る少女の家は、遠目で見るよりずっと大きくて、
 僕にはどこに少女の部屋があるのかわからなかった。
 これでは少女の部屋を見つけて、それから少女と話をして、
 またこの家から出る頃には、とっくに夜が明けている。
 でも、とにかく探すしかない。
 するとずっと遠くから、ぶるぶると自動車の音が聞こえてきた。
 こんな時間に一体何の用事だろう。
 そう思っているうちに、自動車はどんどん近付いてきた。
 少女の家に向かってるのかな。
 僕はそっと玄関側にまわって、そばの木陰に身を隠した。
 案の定、すぐに自動車がやってきて、
 玄関の前でぴたりと止まった。
 すぐに家の中から若い女の人と髭を生やした男の人が出てきて、
 車から降りた眼鏡のおじいさんを出迎えた。
 どうやらあの人達が、少女の話によく出てきた、
 お手伝いさんと、少女の父親なんだろう。
 父親はおじいさんに言った。
 「いやいや、こんな遠い所まですみません。」
 おじいさんはかぶりを振ると、
 「そんなことはよろしいのです。
  それより娘さんのご様子は。」
 「それが、昨日の夜から突然熱が出て、
  今でもずっとうなされていまして。」
 おじいさんは目を丸くした。
 「なんと……
  それで、原因に心当たりは。」
 「いえ、それが……実に困ったことでして、
  どうやらこっそり、誰かに会いに出ていたようなのです。」
 父親は恥ずかしそうにうつむいた。
 おじいさんは何も言わずに、厳しい目つきで父親をにらんで、
 すぐに怒ったような声でつぶやいた。
 「だからあれほど、部屋から出すなと言ったのに……
  ……とにかく、娘さんを診てみましょう。
  部屋まで、案内してくだされ。」
 「先生を、娘の部屋まで案内して。」
 お手伝いさんははいと言うと、おじいさんの外套を受け取って、
 そのまま三人は、扉の奥に消えていった。
 僕はすぐに木陰から出た。
 でも、少女に会いに行こうとは思えなかった。

 少女の病気が悪くなったのは、
 僕のせいなのかもしれない。
 赤く輝くかっこう林の、その夢のような時間の中で、
 少女は何も言わないままに、鋭い痛みに耐えていたんだ。
 僕はそれに気づかなかった。
 ただ少女を鳥にしてあげたいなどと思っていただけだった。
 その想いは今も変わっていない。
 でも、せっかく翼はあと少しでできるのに、
 もう、無理なんだろうか。
 少女の愛する枯れ葉の下に、今も静かに隠してある、
 綺麗な少女のための綺麗な翼のことを考えながら、
 僕は涙を流して寝た。



 起きた時には夕方だった。
 こんなに遅く起きたのは初めてだった。
 まだ目尻がすうすうしたから、それをぐいとふき取って、
 とりあえずあの場所に、行ってみようと決めた。
 少女が来ていることはないだろうけど、
 それでも、僕はあそこに行かなくちゃ。
 優しい陽射しと落ち葉の待つ、あの暖かな場所へ。

 そこへ慌てて向かう間も、僕はずっと考えていた。
 痛みを堪えて、何一つそんな素振りを見せないで、
 僕を安心させていた少女のことを。
 少女はあの夕陽の中で、一体何を考えていたんだろう。
 あのはかない笑顔の裏で、どんな表情をしていたんだろう。
 僕はそんなことなんて全く思わずに、ただ表面の優しさに満足して、
 少女のことなんてわかろうとしなかった。
 何が空を飛ばせるだ。
 何がずっと生きていてほしいだ。
 少女のことを考えるなら、少女に本当に生きていてほしいなら、
 僕は少女を止めるべきだった。
 落ち葉を抱き締め、そこに自分を重ねる少女に、
 自分の場所に早く帰るように促すべきだったんだ。
 たとえ病室みたいに冷たい、自分の部屋の壁が嫌いでも、
 たとえひとりぼっちで閉じ込められていたとしても、
 死んじゃったら元も子もないんだ。
 満足したからって、勝手に死んでいいってわけじゃない。
 君は、落ち葉なんかじゃないんだ。



 途中で、一枚の大きな羽根を見つけた。
 これなら少女のシンボルにふさわしい。
 今さらって気もしたけれど、とりあえず、
 通ったついでに拾っておいた。

 これで、少女のものだった翼は完成する。



 予想に反して、少女はかっこう林に来ていた。
 初めて会った時のように、斜めに差し込む赤い光が、
 少女の髪を優しく照らして、そこにはらはら舞い散る落ち葉が、
 赤と黄色にきらめく落ち葉が、
 祝福のシャワーのように、音もなく降り注いでいた。
 少女は動かなかった。
 膝を抱え、林に包まれるようにして、
 ぐっすり眠っているようだった。
 僕はそっと少女に近づき、そっとその手に触れてみる。
 今度こそ伝えなくちゃ。
 もう、ここに来ないでって。
 本当は嫌だけど、そんなの死ぬほど嫌だけど、
 そんなことはどうでもいいんだ。
 君は、ここに来ちゃ駄目なんだよ。
 帰って。
 安全な場所に。
 だけど、その想いは凍りついた。



 真っ赤な落ち葉を抱き締めながら、少女はその場に死んでいた。



 ああ……、
 僕は最後の羽根を取り落とした。
 その行き着く先には、落ち葉がなくなって露出した、
 少女のための翼が見えた。
 白い翼。
 綺麗な少女には、綺麗な翼が似合う。
 だから、白い翼。

 白い翼を身にまとい、自由気ままに空を飛ぶ、
 そんな少女の姿を、僕は毎晩夢で見たんだ。



 柔らかい風が吹いた。
 少女の髪がさらさらと揺れ、そこにオレンジ色の光がからまって、
 何かとても綺麗なものが、きらきら、
 砕けたガラスのようにきらめいた。
 かっこう林が、ざあざあとざわめき、
 一瞬だけ雲の影がさして、またすぐに明るくなる。
 少女は動かなかった。
 少女の力をなくした手から、かさかさとかすかな音を立てながら、
 幾つかの落ち葉がこぽれて、僕の足元に落ちてきた。
 僕はそれを拾った。
 それから羽根も拾った。
 そして、僕は決意した。
 今までは少女に遠慮して、少女の前ではしなかった。
 でも……
 今は、もういい。
 二、三度軽く揺らして、うまく動くのを確かめた後、
 僕は羽根と落ち葉をくわえたまま、自分の翼に力を込めた。
 僕はふわりと浮いた。
 僕はその場に浮き上がったまま、少女のなきがらを見つめた。
 少女はまだ眠っている。

  ふうん、この林には、
  あなたみたいな、可愛いかっこうさんもいるんだ。
  だったら、今日からここは「かっこう林」ね。

 君は本物の空を見て、いったい何を思うだろう。
 やっと全てから自由になって、どんな気持ちになるだろう。
 それは、もうわからない。
 永遠にわからない。
 だけど、せめて、
 このオレンジの空の向こうに、一体何が待っているのか、
 君のその目で確かめてほしい。
 たとえ翼はなくっても、体は林に残ったままでも、
 魂だけでも、僕が必ず連れていく。
 そして、ずっと一緒にいよう。
 二人でどこまでも飛ぶんだ。
 誰も聞いてくれなかった、君のささやかな夢のように。
 僕だけが信じ、そして描いた夢のように。
 それが、僕の願い。
 それが、僕の使命。
 僕は舞い上がった。
 少女の細やかな髪よりも、ゆっくり流れる枯れ葉よりも、
 ざわざわ揺れる白樺よりも、ふわふわ浮いてる雲よりも、
 何者にも邪魔されることのない空高くを目指して、
 僕は羽根と落ち葉と共に、精一杯にはばたいた。



 願わくば、少女の魂が翼を手に入れんことを。
 自由に、どこまでも彼方へ飛んで行けんことを。

 太陽はまだ明るい。
 そして僕は、その夕陽に向かって翼を広げた。




(了)



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