羽の喪失(前編)


「大人になったら、自然と羽はとれる」
 ずっとそう言い聞かせられてきたし、
 実際に大人の女の人はみんな羽を持たなかったから、
 幼い頃はずっとそう信じ込んでいた。
 だから、二十歳かそこらの誕生日になったら勝手に取れるものと信じて、
 重たい背中の羽がなくなる日がいつか来ることをずっと夢見ていた。

 その言葉に初めて疑問をもったのは、十歳年上のお姉ちゃんの羽が取れた時だった。
 なんの変哲もない暑い日、旅行から帰ってきたお姉ちゃんの背中には羽がなかった。
 お姉ちゃんの誕生日は秋の終わりだったから、
 なぜこんな中途半端な時期に羽が取れたのか、不思議でしょうがなかった。
「どうしてお姉ちゃんの羽なくなったの?」
 そう訊くと、お姉ちゃんとお母さんは優しく微笑んで答えた。
「それは、お姉ちゃんが大人になったからだよ」
「だってお姉ちゃんの誕生日はまだまだ先だよ」
「それはね……カミも大人になったらわかるからね」
 わたしはその時すぐ知りたかったのだけど、
 どれだけ粘っても、ふたりはそれ以上教えてくれなかった。
 次の日、お姉ちゃんと仲の良い近所のお兄ちゃんが家に呼ばれて、
 わたしの家族と一緒に晩ごはんを食べた。
 その時、ついでにお兄ちゃんにそのことを訊いてみたのだけど、
「あー……おれが言うことはできないんだ。お姉ちゃんに訊いてくれな」
「お姉ちゃん教えてくれないもん」
「だって、おれたち男に羽はないしなー……ごめん。内緒なんだ」
 と、結局はぐらかされてしまったのだった。
 なぜかお兄ちゃんの顔は赤くなっていたけど、怒ったわたしはそんなことを気にも止めず、
 ばーか、とひとこと言ってさっと逃げた。お兄ちゃんは笑っているだけだった。

 お姉ちゃんとそのお兄ちゃんは、次の月の最初に結婚して、
 私の家を出て行ってしまった。

 わたしの通う学校の女の子はもちろんみんな羽持ち。
 だから、どうやったら羽が取れるのかという話には、みんな興味津々だ。
「寝てたら上から神様が降りてきて、そっと背中をなでて羽をもらっていくんだって」
「家の中なのに? 屋根はどうするの?」
「さあ。教えてくれなかった」
「あたしは羽だけ空に飛んでっちゃうって聞いたけど」
「それ違うってだれか言ってた」
「二十歳になったら取れるんじゃないの?」
「でも、うちのお姉ちゃん、まだ二十歳じゃないけど羽ないよ」
 結局だれも何もわからないのだった。

 そんなある日、隣のクラスのユウちゃんの羽がなくなった、というニュースが広まった。
 慌てて見に行ったら、確かにユウちゃんの背中からは羽がなくなっていた。
「どうしたの?」
「どうやって羽取ったの?」
「神様が降りてきたの?」
 ユウちゃんはすでに質問責めだったけど、どこか幸せそうな顔で、
 とにかく秘密、を繰り返すだけだった。
 わたしたちはひどくがっかりしたが、優しいユウちゃんを仲間はずれにするわけにもいかず、
 結局その件はうやむやに終わってしまったのだった。

 しかし、それからしばらくして。
 背中の羽に関する小さな噂が広まった。
 どうやらもともとの発信源はユウちゃんで、親しい友達何人かにこっそり話したところ、
 それがどこからかあっという間に漏れてしまったらしかった。
 噂によると、羽を取るには
「好きな人と愛を確かめあえばいい」
 ということだった。もちろん、なんのことかわからない。
 でもみんなこのことに興奮して、それから私たちの話題はほとんどそれになった。

「愛を確かめあうってなんだろうね」
「わかんない。好きだって言えばいいのかな」
「でもマコルちゃんはもうそれ言ったことあるんだって」
「え? 相手は? だれに言ったの?」
「恥ずかしがって教えてくれなかった」
「でも、好きな人に何かすればいいんだよね。なんだろ」
「ところでミヌちゃんの好きな人って?」
「え? や、そんなこと……言えないよ」
「トモっちは?」
「あたしも……内緒だよお」
 とまあこんな感じで、いつ話しても最後には互いの好きな人の探りあいになり、
 この話がこれ以上大きく発展することはなかったんだけど。

 大きな転機が訪れたのは、新しい春の始まりだった。
 ちょっと離れたところの村から、ちっちゃい男の子がひとり引っ越してきた。
「今日からみなさんのお友達になるゾマくんですよー」
「ゾマです。よろしくおねがいします」
 男の子なのにわたしたち女の子の誰よりも小さかったゾマくんは、
 そのよく気のつく性格であっという間にクラスになじんでしまった。
 でも、小さすぎることがみんな気になるのか、
 女の子の間の人気はそんなに高くならなかった。

 でも、わたしはちょっとゾマくんのことが気になっていた。
 あまり人前では見せなかったけど、笑顔がとっても可愛かったのだ。

「ゾマくんの住んでた村ってどんなとこ?」
「カリコの花がいっぱい咲いてる。今度ちょっと持ってくる?」
「いいの?」
「どうせいっぱいあるし」

 ゾマくんからもらったカリコの白い花は、押し花にして部屋に飾った。
 昔は貴重な花だったらしいが、それもわかるほど綺麗な押し花になった。

 押し花を眺めながら、わたしはぼんやり考えた。
 ゾマくんがいれば、羽を取る方法がわかるかもしれない。
 わたしも大人になれるのかもしれない。
 そうしたら、ユウちゃんみたいに隠さずに、
 学校中の女の子に教えてあげよう。
 大人になる方法を教えてあげよう。
 そして、みんなに感謝されるんだ。

 だから、そのためにいろいろやってみなくちゃいけない。
 明日ゾマくんに会ったら、何と何と何と何をしよう。
 月が消える真夜中に寝てしまうまで、ずっとそんなことを考え続けた。


 次の日。
 学校で見つけたゾマくんは、他の女の子と手を繋いでいた。
 隣の隣のクラスの、話したこともない女の子だった。
 その子の背中には、羽がなかった。


「羽をとる方法がわかったよ」
 それから、あっという間にそんな話が伝わっていった。
 もちろん、出所はあの女の子だった。その子はおしゃべりで、隠しもせずにすぐ話したという。
 だけど、わたしはその話を聞くのが嫌だった。
 みんなが目を輝かせて繰り返すその話から、毎日毎日逃げ続けた。
 あんなに聞きたかった話なのに。
 あんなに知りたかったことなのに。
 私は耳をふさぎ、教室から逃げ、ひとりで休み時間を過ごした。
 そうこうしているうちに、ひとり、またひとりと、羽のない女の子たちが増えていった。
 一週間もすると、クラスの半分の女の子の羽がなくなっていた。
 二週間もすると、クラスのほとんどの女の子の羽がなくなっていた。
 三週間もすると、クラスで羽をもつ女の子はわたしひとりになってしまった。
 どうしてこんなことになったのだろう。

 廊下を歩いていると、前を歩く先生達の声が聞こえた。
「今年の五年生は早かったですね……こんなに早いのはいつ以来でしょうね」
「毎年ひとりふたりはフライングする子が出るんだけどね……今年はもうお手上げだわ」
「あっという間でしたよね。止める間もなかった。今の上級生とかも真似するでしょうね。
 それより上はまぁ、学校も違いますし、そんなに伝播しないと思いますけど」
「まだ羽持ってる子もいっぱいいるし、あの意味知ってるから恥ずかしいでしょうしね」
「まぁ、起こってしまったことはしょうがないですかね」
「まぁ、もう羽が戻ってくるわけじゃないし……気にしてもしょうがな」
「ばか!」
わたしは先生を突き飛ばして逃げた。
どうして、もっとしっかり内緒にしてくれなかったんだろう。
どうして、こんなことになるのを防いでくれなかったんだろう。
そうすれば、こんなことにならなかったのに。
嫌い。嫌い。みんな嫌い。
ゾマくんも、あの子も、羽のない友達も、先生もみんな嫌い。
教えてくれなかったお母さんも、お姉ちゃんも、お兄ちゃんも、みんな嫌いだ。

つづく


小物小説一覧に戻る