シーマ・フェリックの破戒(その1)


ある街に、シーマという美しい女の子がいました。
シーマは街の大富豪フェリック家のひとり娘で、何ひとつ不自由のない生活を送っていました。
しかし、そんな環境で育ったものですから、当然のように彼女はわがままな子供になりました。
お目付け役の言うことをきかず、勝手に屋敷を抜け出しては街に遊びに行く。
嫌いな相手にはとことん冷たい仕打ちをして、ちっとも悪いことをしたとは思わない。
街の学校の初等部に入るまで、シーマはずっとそんな性格でした。

しかし、そんなシーマにも転機が訪れます。
きっかけになったのは、シーマが十歳になった時、同じ組になったひとりの女の子でした。
女の子の名前はミユウと言いました。
ミユウは街の小さな孤児院で暮らすちっちゃな女の子で、
生まれや育ちは貧しいけれど、とても優しくて勉強のできる子でした。
これまで何をやっても一番だったシーマでしたが、
勉強も、運動も、歌も、友達付き合いも、何ひとつミユウに勝てません。
……これは、シーマが生まれて初めて経験する「負け」でした。

悔しくて仕方がなかったシーマはミユウにたくさんの意地悪をしました。
しかし、何をやってもミユウは全然怒りません。
いつも静かに笑って、シーマちゃんもうやめてね、と柔らかい声で言うだけです。
思う通りに事が運ばないシーマはますます腹を立てて、
ここはひとつミユウを怖い目に遭わせてしまおうと企みました。
そうすれば、あのミユウと言えどもきっと平気ではいられないはずです。
シーマは家の者を使ってミユウを無理矢理街の外に連れ出すと、
危ない人間のたくさんいる危ない町にミユウを置き去りにしたのでした。
そして自分は少し離れたところで護衛に守られながら、
脅えるミユウをじっくり観察することにしたのです。

しかし、流石にそれはやりすぎだったのでしょう。
護衛の者がほんの少し目を離した隙に、シーマもまた危ない男に連れ去られてしまいました。
男は奴隷商人の一団の手下で、誘拐した子供をどこか遠い国に売り払ってしまおうと考えていたのです。
考えもしなかった事態に、シーマはぐずぐずと泣きじゃくりました。
そして、そこに差し出されたハンカチが一枚。
見ると、同じように捕まったミユウがそこにいて、シーマの手をぎゅっと握っていました。
「大丈夫だから、神様がきっと見ているから、大丈夫だから」
その手は恐怖にぶるぶる震えていましたが、シーマは笑うことはできませんでした。
自分も似たようなものでしたし、
それに、自分にはミユウを笑う資格はないような気がしたからです。

ですが、シーマの家の救助隊はその時すでにすぐそこまで迫っていました。
街で一番大きなフェリック家のこと、あっというまに状況を把握してシーマを助けようと動き出したのです。
たちまちフェリック家の雇った兵士たちは奴隷商人の一団のアジトを発見し、
それに気付いた一団との間で、激しい銃撃戦が始まりました。
響き渡る銃声にシーマとミユウは部屋の隅でうずくまって固まりながら、
ふたりで神様、神様、神様とうわごとのように繰り返していました。
が、圧倒的な物量で押すフェリック家を前に、ただの奴隷商人達が勝てるはずはありません。
部下のほとんどを失い、ぼろぼろになった奴隷商人のボスはシーマ達のいる部屋に入ってきて、
シーマ・フェリックはどこだ、出て来ないと殺すと叫びました。
どうやらシーマを人質にしてどこまでも逃げのびるつもりのようです。
当のシーマは男が怖くて、返事も何もできません。
ですが、その時意外なひとつの声が。
「私がシーマ・フェリックです。シーマはここにいます」
驚いて顔を上げると、隣にいたはずのミユウがしっかと立ち上がっていて、
男に向かって恐る恐る歩き出すところでした。
シーマはミユウが自分の身代わりになろうとしているのだと気がつきました。
慌てて自分が本物のシーマだと言おうとしましたが、喉がかすれて声が出ません。
男はミユウの腕を乱暴に掴むと、引きずるようにして部屋を出て行きました。
そして、かすかに響くエンジン音。
急いで割れた窓から外を見ると、一台の車がアジトを飛び出してゆくところでした。
しかし、あのフェリック家を敵に回しておいて、そうやすやすと逃げ切れるわけがなかったのです。

奴隷商人とミユウの乗った車はすぐにたくさんの銃弾を受けて、
シーマの見ている前で爆発し、粉々に吹き飛んでしまったのでした。

生き残ったシーマは他の子供たちとともにすぐに救助され、家のベッドで特別に手厚い看護を受けました。
その間、誰もシーマのことを責めようとはしませんでした。
シーマは暖かいシーツに包まりながら、ずっとずっとミユウのことを考えていました。

一ヵ月後、怪我が治るとシーマはミユウの住んでいた孤児院に行きました。
ミユウを育てた人や友達、そして家族同然に暮らしていた他の子供達に謝ろうと思ったのです。
しかし、孤児院の人々は何も知りませんでした。
フェリック家が陰で根回しをして、本当のことを隠してしまったのです。
そこではミユウは病気で死んだことになっていました。
「あの子はあの子なりに精一杯生きました。短い生涯でしたが、満足してこの世を去ったのでしょう」
違う、とシーマは思いました。
ミユウは私が殺したんです。きっとミユウは私のことを恨んでいます。そう言おうとしました。
しかし、責められるのが怖くて、とうとう本当のことは言い出せませんでした。
帰り道、孤児院のお姉さんはシーマに向かってささやきました。
「あの子は大きくなったら、私たちの教えを継ぐシスターになろうとしていました。
 シスターはみんなの幸せを願うことが仕事。
 残念ながらミユウはもうそれができなくなってしまったけれど、もしあの子のことを可哀想に思うのなら、
 その分だけあなたがみんなの幸せを願ってくれないでしょうか」

シーマ・フェリックはこの時、将来はシスターになって生涯を祈りに捧げようと決意したのです。

つづく


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