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「MARΩ」連載開始直前特別企画
「MAR」のバトルを考える
 その3・作画的演出編
 ←その1・合理性編←その2・動機付け編


 さて、最初からずっと通しで読んでる方は長くてクドくてわかりにくい話にいい加減うんざりしてきた頃だと思いますが、最後にもう一発残っているのでこのへんで休憩を挟むことをオススメします。そうでない方も、これからまだまだ長くてクド(略)な話が続くので覚悟してください。これまではバトルの内容、及びバトルの背景や心情表現についての話をしてきましたが、ここではバトルの描き方、実際にどんな風に紙に描かれているのかを見てゆくことにします。これが大まかな項目としては最後になります。


3.「MAR」のバトルの作画的演出について

 漫画の絵は一般的な絵画とは異なり、その多くが記号的表現によって成り立っています。例えば、可愛らしさを強調するためにちょっと怖いくらい目を大きく描いたり、実際には存在しない汗や血管を追加して心情を表現したり、あるいは書き文字で音や動作を代弁したりといったもののことです。ゆえに基本的な考え方としては、絵画と漫画の絵は、重なる部分もあるが根本的に違うものとして扱うのが妥当ではないかと思います。

 そこで本項目では、その違いを踏まえて漫画の絵を見るために、ここでは「漫画の絵の表現」と「漫画の特殊表現」を区別して考えることにしました。前者は絵柄そのものの部分を、後者は絵画にはない、漫画ならではの部分を指しています。具体的には、絵の表現はデッサンや描き分け、背景やカラー原稿の色遣い、形喩(漫画的記号表現)の大部分など「絵の上手い・下手がはっきり表れる部分」を、漫画独特の表現はフキダシやコマ割り、形喩の一部、音喩(漫画内の文字表現)などといった「絵の上手い・下手が直接関係しない部分」を考えてもらえればわかりやすいと思います。


3-1.「MAR」のバトルの「漫画の絵の表現」について

 漫画の絵の表現とは、先程述べたように、直接描かれている絵の部分をどう表現しているかを示したものです。一番わかりやすい言い方をすれば、みなさんが「画力」と呼んでいるものがそれに相当します。人物がちゃんと区別できるように描かれているか、形が崩れていないか、形喩や音喩を適切に使って対象物の様子がきちんと描かれているか、といったことです。

 しかしこの項目は構成要素があまりに多すぎて、ひとつひとつ拾い上げているといつまで経っても分析が終わりません。デッサン(パターン化)力、デフォルメ能力、人物の描き分け、表情の描き分け、細部の描き込み量、コマ内構図、汗や集中線・ハジ線といった形喩、擬音語や擬態語のように絵柄として直接描かれる音喩、パースのつけ方、陰影表現、背景、見やすさ、トーンの使い方、色遣い、隠喩表現、独創性などなど……。ゆえにここでは、漫画を漫画たらしめるために必要であると思われる、「見せたいものをそれとわかる形できちんと見せることができているかどうか」「伝えるべきイメージをきちんと伝えられているかどうか」「またそれらが達成されているとして、それらをどのように表現しているか」の三つの視点に絞って見ていくことにします。

 まず「見せたいものをそれとわかる形できちんと見せることができているかどうか」については、これは概ね及第点を与えて良いのではないかと思います。……というと、他の要素のダメさ加減に嫌気が差してこの漫画を厳しい目で見ている人には否定されてしまいそうですが(笑)、純粋に絵だけを抽出して見た場合、それほど酷い出来ではないような気がするのです。

 例えばキャラデザインは明確に区別されているので人物を混同することもなく、可愛い女の子はそれなりに可愛らしく見えるように描かれ、怪物やその類はひと目で怪物とわかる描かれ方をされています。ARMに代表される小道具や炎・光・水などの自然物、背景の描写についても同様です。表情の表現については……そもそも物語で必要とされた表情の種類が少ないので何とも言えないのですが、喜怒哀楽や驚き・呆れといった表情は難なく区別できます。デッサンもごく標準的な少年漫画程度にはできていて、カラーでの色遣いや陰影表現、集中線などの効果線の使い方にも特に問題はありません。主体と客体の差別化も正確にできているので、画面が見づらいということもない。総じて、きちんとプロの仕事はできているように思われます。

 次に「伝えるべきイメージをきちんと伝えられているかどうか」ですが、これは例えば迫力の必要なシーンに迫力が感じられる絵を描けているか、シリアスな空気と抜けた空気の描き分けができているか、といった事柄を扱います。それで結論から言うと、この項目も全く問題ないレベルに達していると思います。例えばガーゴイルレイの発射シーンに代表されるような迫力を要するシーンでは、「絵柄だけに絞って見れば」十分な迫力を表現できているように感じますし、シリアスシーンとギャグシーンの描き分けもきちんとなされています。もちろん突出して絶賛できる! というほどではないのですが、この部分については特に文句をつける気にはなれません。このレベルに文句をつけるのであれば、他の数多くの少年漫画にも苦言を呈さなければいけないでしょうね……。

 そして最後に「それらをどう表現しているか」については、これも一般レベル程度には余裕で達しているのではないかと考えています(反論が凄そうですが、もう少し待って!)。ARMや敵のデザインには独創性が光りますし、後述する妙な音喩もそれなりの独創性の表れと見ればむしろ長所と捉えることができます。他に先に挙げたような迫力あるシーンの例や、不気味なガーディアンARMの登場シーンといったバトルを盛り上げる箇所でもそれなりに「そう見える絵」を描くことはできているのではないでしょうか。

 以上より、「MAR」の漫画の絵の表現については、これまでの他の要素とは違い、合格点以上の点数をあげても良いのではないかと思います。ただし、見ただけで人を惹きつけるようなレベルにはまだまだ達していませんし、あり余る短所をこれだけで補えるほど素晴らしい効果を上げているわけでもありません。コマ内構図やパースのつけ方もいたって普通です。しかし、少年漫画のメイン読者である少年少女層を惹きつけるには十分すぎるレベルであると判断します。……そう考えないと、これだけ欠点だらけのこの漫画が子供受けしている事実が理解できませんしね。


3-2.「MAR」のバトルの「漫画の特殊表現」について

 漫画の特殊表現とは、他の絵画や一般的な絵図には存在しない、主に漫画やその派生イラストでしか使われない表現文法のことを指します。この存在がただの絵である漫画に物語性を持たせ、漫画を漫画として成立させています。

 漫画独特の表現は、大別すると「言葉」と「コマ」の二種類に分けられます。「言葉」はキャラの台詞やナレーション、それが収まっているフキダシ、または擬態語・擬音語といった音の表現を示し(厳密に言うならフキダシは絵とコマの両方にまたがる存在なのですが、ここでは言葉の補助的要素と捉え、台詞とセットにして扱います)、「コマ」は文字通りのコマ割り、要するに枠線の描写方法とそれらの組み合わせ方を示します。そこでここでは、大きく「恩喩」「台詞」「コマ」の三つの要素に分けてそれぞれを見ていくことにします。

 まず書き文字の擬音語や擬態語を表す「音喩」についてですが、これは特に問題ないでしょうね。まれにロランのARMの「カ゜キ」のような不思議な表現を使っていることもありますが、それも概ねオリジナリティ色の強さの表れとして容認できますし(こういった独特の言葉遣いがアンチのみなさんの神経を逆撫でしているのは重々承知していますが、それとこれとは話が別)、他の書き文字も、フォントの種類がやや少なめながら、いたって標準的な使い方をされているように見えます。

 そして次に台詞ですが、こちらもあくまで文法的な面にのみ注目すれば、標準的な程度にはできていると思います。まぁたまに件の「ダンナの息子」のようなやや解釈の難しい表現が見られますし、格好良い決め台詞や独特の言葉遣いも特筆するほどのものはありませんが、これに関しては編集のチェックも入っているおかげか、全体的にはそれほど日本語がおかしいようには見えません。キャラごとの言葉遣いの書き分けもしっかり行われています。ただし前ページで述べたような背景描写の不足が常につきまとっているため、発言内容から説得力が失われ、連鎖的に台詞そのものの印象も薄くなっていることには触れておきます。本来はこの項目で扱うべきことではありませんが……。

 そして最後にコマについてですが……はっきりいって、これは本当に酷いです。何がどう酷いかというと、恒常的に少なすぎるのです。戦闘の最初から最後まで見境なく大ゴマを連発しており、下手をすると一話のページ平均コマ数が4を切ることも珍しくありません。これは一見わかりやすい画面で格好良さを演出できるようにも思えますが(実際そういう面もないわけではないですが)、実はこれによって、バトルをつまらなくする二つの重大な問題が起きています。

 一つめの問題は、コマの数が減ることによって、そのまま描写できる内容が減っていることです。これにより細かい流れのあるバトルを描くことができなくなり、内容がごく大雑把になってしまいます。内容が大雑把になるということは、伏線の設置や回収の絶対数が減るということです。これによりバトルはどんどん単純化し、心理描写も減り、駆け引きを描くこともできなくなってしまいます。

 そして「MAR」では、心理描写の減少によるキャラへの感情移入の難しさの上昇をキャラの格好良い一枚絵で対処しようとしているため、決めポーズを描写したカットが大幅に増え、ますますバトルそのものの描写をするための余裕が失われています。そしてさらに悪いことに、バトルそのものの描写ができないということは、あまりキャラを動かすことができなくなるということに繋がります。これにより必然的に戦闘がFF的な棒立ちバトルとならざるを得なくなり、棒立ち状態でも繰り出せる技――ガーディアンARMによる攻撃が増加します。そしてガーディアンはその性質上一撃必殺的な能力を持つ者が多いため、勝負が単純なパワー比べと化し、ただでさえ少ないバトルの駆け引きがさらに減少します。こうした悪影響の連鎖が「MAR」のバトルでは常に発生しているのです。

 そしてコマの数が少ないことによるもう一つの問題は、バトルのメリハリが失われてしまうことです。コマは絵を収めるための単なる枠ではありません。その配置によって話の流れや読者の意識をコントロールするという、何より大事な役割を担っているのです。例えば最も簡単な例で言うのなら、小さいコマの連発で小さなやり取りを連続的に描写し(テンポを上げて)、そこにドンと大ゴマを持ってきて読者の意識を瞬間に集中させる(テンポをせき止める)。このように流れに緩急をつけることによって、絶えず読者の意表を衝き、かつ飽きさせない展開が可能になります。

 しかし「MAR」においては、常に大ゴマや見開きを多用するコマ構成を取っているため、画面に変化を与える効果に乏しく、バトルのテンポが終始一本調子になっています。従って、本来なら描かれている内容の起伏を増幅させるべきコマ割りが、かえって内容の起伏を打ち消す効果を生んでいます(激情的な台詞を棒読みで読んでいるようなものです)。このように、「MAR」のバトルにおけるコマ割りはバトルを盛り上げるという本来の役割を果たすどころか、様々な面において演出の足を引っ張っているのです。

 以上より、「MAR」のバトルにおける漫画の特殊表現については、音喩・台詞は概ね問題ないものの、コマ割りに非常に重大な欠陥があるという結論に至りました。このコマの使い方は正直他に類を見ないほど酷いと思います。恐らく子供向けのわかりやすさや格好良さのインパクトを重視するためにこういった構成を採用したのだと考えられますが、それと引き換えに上で述べたような様々な弊害が生まれているため、筆者としてはやはりマイナス要素の方が遥かに強いのではないかと思います。


3-3.作画的演出についての結論

 作画的演出についての結論は、絵柄の上手さや恩喩の使い方はそれなりの水準を保っているものの、コマ割りの酷さがバトルをぶち壊しにしている、というあたりでしょうか。バトルが単調だとか、棒立ちバトルになっているとか、描写が足りないとか、駆け引きがないとか、バストショットが妙に多いといった「MAR」のバトルの諸問題の根源がここにあります。とにかくもっとコマを増やして、描写量を増やすことができれば、少なくともここまでの事態にはならなかったはずなのですが……。

 また個人的には、絵柄だけがやや上手い水準に達しているという事実が、かえって事態を悪い方向に動かしているような気がします。この見栄えの良い絵によって子供読者が集まり、その子供読者を意識しすぎて他の要素が単純化し、バトルがつまらなくなるという作用が起きているように感じるからです。もし絵柄に何の魅力もなければ、この漫画がここまで人気を博すこともなかったと同時に、もう少し欠点が減っていたのではないかと思えてなりません。




4.「MAR」のバトルのまとめ

 はい、皆様お疲れ様でした。自分でもうんざりするほど長々と語ってきましたが、どうだったでしょうか。私はもう疲れ果ててしまいました(笑)。書き手ですらこうなのだから、これを一気読みしてきた方は疲労が蓄積してきっととんでもないことになっているでしょうね。途中で読むのが面倒になって一気にここまで飛ばしてきた方はそうでもないと思いますが(笑)。あとは簡単にまとめてそれで終わるので、もうちょっとの辛抱ですよ〜。

 というわけで以上、「MAR」のバトルを、内容の合理性、動機付けと心情描写、絵柄と演出の三つの要素に分割して分析を行いました。これらのそれぞれの結論を簡単にまとめると、以下のような形になります。

<合理性について>
世界の合理性……作中世界の因果関係が一定していない、矛盾がある
展開の合理性……全体的に伏線がなく唐突な展開が目立つ
限界の合理性……キャラの強さがはっきりしないため、具体的にイメージできない

<動機付けについて>
味方キャラへの動機付け……主人公への共感や感情移入が難しい
悪役キャラへの動機付け……敵の悪行の描写が不十分
ライバルキャラへの動機付け……イアン以外は共感を呼ぶための配慮が足りない

<作画的演出について>
漫画の絵の表現……標準レベル以上には十分に達している
漫画の特殊表現……コマの少なさが多くの重大な弊害を生み出している

 ……まぁ要するに問題だらけだってことですが(苦笑)。

 全体的な傾向としては、とにかく少年読者受けを重視して話を重くしないように軽め軽めに、かつわかりやすく展開させつつ、その軽さをぱっと見の画面の派手さやキャラの見た目、格好良さのインパクトといった表層的な部分でカバーしているように思えます。その結果として子供受けは良くなったものの、バトルの内容に関しては散々なことになった、といった感じでしょうか。この企画は「MAR」の商業的な是非ではなく、あくまでバトルのことを考える企画なので、はっきり言わせてもらいますが……バトルとしては、かつてないほど本当に酷いクオリティだと思います。内容的にも、盛り上げ方にも、演出にも問題点が山積みで、それらが総合して何とも言えない読後感を醸し出しています。ほんと、単純に「ここが酷いから「MAR」のバトルは酷い!」と一言で切って捨てられるくらい問題点がシンプルだったら、こんな方法は取らなくても良かったのですが……。ここが悪い、そこも悪い、あそこも悪い、と片っ端から指摘していった結果、ここまで長くて複雑な話になってしまったことを深くお詫び申し上げます。

 ただ、これらの問題点は全て安西先生に起因するかというと、それは少し疑問にも思えるのです。例えば「MAR」のファンブックのインタビューに書いてありましたが、安西先生も最初は「世界各地を旅しながらチェスと一人ずつ戦ってゆく」展開を考えていたそうです。それがなぜウォーゲーム展開になってしまったのかは謎ですが、もしこれが実現されていたら、少なくとも第二節の動機付けの部分は大幅に改善されていたであろうことは想像に難くありません。たぶん、子供向けの漫画を過剰に意識した編集部の煽りをマトモに喰らってしまったのでしょう。バッボ入手後の具体的な展開を全く考えていなかったという衝撃的な話もインタビューで出ているので、あまり安西先生の弁護はしたくないのですが、少なくともその点については同情を禁じえません。

 さて、これで「MAR」のバトルについての話は終わりなのですが、実は「MAR」という漫画がつまらない理由はまだまだあるのです(笑)。バトルメインの漫画とはいえ、何から何までバトルだけで構成されているわけではありませんからね。しかし私はもう「MAR」のことを語るのは疲れてしまったので、誰か他の暇な人が的確に考察してくれることを期待します。別にそんな人が出てこなくても、それはそれで一向に構いませんけれども。

 ではここまでお読みになってくださった皆さん、本当にありがとうございました。読みにくくてわかりづらい話だったと思いますが、少しは私の言いたいことが伝わったでしょうか。それでは、「MARΩ」のバトルが無印時代より少しはマシになることを祈りつつ、そそくさと終わりたいと思います。あと、今回も「MAR」ファンのみなさん、夢を奪うような真似をして、本当にごめんね。


(2006/08/29 第一稿完成)


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